今回のフル TIMES は特別編として「きらめきの丘おおい」の誕生から未来像をお届けします。
大井町地域振興課の宇田川晶彦課長、そして代表企業として太陽光発電装置の建設から運用を担う株式会社古川の代表取締役社長 古川剛士、スマートライフ事業部 部長兼大井町発電所所長の芹沢厚が当時を振り返りながら、きらめきの丘おおいを拠点とする未来像を語ります。
記事が公開された時点での情報となります。
Profile
宇田川 晶彦(うだがわ・あきひこ)
1969 年、大井町生まれ。大学卒業後の「自己実現をしてみたい」と 1993 年に大井町役場入庁。現在は地域振興課課長として農政、商工、観光、地域活性化などを担当。バスケットボール部出身、大井町ミニバスケット ボールのコーチとして全国大会出場に導く。座右の銘は漫画スラムダンク安西先生の名言「諦めたらそこで試合 終了ですよ」。趣味は 1 人ぶらり街歩き。
古川 剛士(ふるかわ・つよし)
1973 年、小田原市生まれ。大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。2003年、「事業継承・事業拡大」 のため株式会社古川に入社、代表取締役社長。高校までサッカー部。座右の銘は「義をみてなさらずは勇なきなり」。趣味は旅行、スポーツ観戦。エネルギー供給の重要性、地域エネルギーのポテンシャル、地域エネルギ ー循環の象徴として「きらめきの丘おおい」に期待。
芹沢 厚(せりざわ・あつし)
1973年、真鶴町生まれ。2001 年株式会社古川に入社、現在はスマートライフ事業部部長として太陽光発電シス テム、電化機器の販売を担当。「命までは取られない」をモットーに何事にもチャレンジ。趣味は将棋観戦、サ ウナ、歴史モノの読書。大井町発電所長として「きらめきの丘おおい」を管理。
東日本大震災を受けニーズが高まるメガソーラー事業を神奈川県も推進
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-「おおいきらめきプラン~大井町第5次総合計画~」に基づき「自然と共生し発展する社会の構築」を目的に、2014年3月に稼働を開始したきらめきの丘おおいが10年を経過し、土地の賃借契約満了となる2034年まで、ちょうど折り返しを迎えました。当時、全国でも例のない行政主導によるメガソーラー事業という壮大な構想は全てが手探りで進んだプロジェクトでした。大井町が雑木林を造成し、株式会社古川、シャープ株式会社などの事業体によるメガソーラー事業は10年が経過し、今ではきらめきの丘おおいの愛称で地域の電力を担っています。まずはきらめきの丘おおいの誕生の流れをお願いします。
宇田川
きらめきの丘おおいの誕生は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響が大きかったです。全国的にも 太陽光発電エネルギーによるソーラー事業の必要性が高まる機運もあり、神奈川県の黒岩(祐治)知事も方針として打ち出していました。
古川
当時、大井町の町長だった間宮(恒行)さん、そして宇田川さんをはじめ、大井町の職員の皆さんやメーカーの皆さん、様々な人々の苦労や思いがあって実現したプランですよね。古川も会社として地元のメガソーラー事業に対して地元企業として責任を持って運用管理し、そして太陽光発電による利益を地域に還元することに、ぜひとも携わりたいし携わるべき立場だと考えていました。
プラン発足からもう 10 年以上が経過し、今では古川の社員でさえもきらめきの丘おおいの重要性を十分に理解していない人もいます。私としては、この大井町にメガソーラー事業が誕生したこと、そしてその意義も後世に語り継いでいくことが大切だとの思いが強くあります。
土地の賃借契約満了となる2034年まであと10 年ですが、プランの20年間が終わったとしても、その時に新たな有効利用や地域の皆さんへの利益還元などの可能性も浮上するかもしれません。「企業として潤えばいい」との考え方ではなく、地域全体の利益となるような、また、地域の活性化へとつながるようなサービスなども視野に、しっかりとした形に残したいなと思っています。
宇田川
候補地となったエリアは元々企業誘致のためにある企業が保有していた土地でしたが、開発が出来なくなったことで大井町に寄附していただいた土地です。元は農地や山林で荒廃しており、人が足を踏み入れるような状況とは程遠い土地でした。有効活用するために草刈りや木の伐採など環境整備から取り組みました。あの土地がどのような土地なのかを可視化して把握することが、町を挙げての最初の一歩とも言える事業でした。
東日本大震災があり、電力が逼迫した時に計画停電とかで対応しても経済に大きな影響を及ぼしてしまいます。 非常時にも安定した電力を供給できるように、黒岩知事が神奈川県にメガソーラーの誘致を推進していました。
当時町長の間宮さんが「大井町にある利用されていない土地もエネルギー施策の一環として有効活用していくべきだろう」 と発案されたことから、神奈川県と協力しながら動き始めました。まずは県の委託によりメガソーラー事業が成立するかどうかのポテンシャル調査から始まり、陽の当たり具合や傾斜など様々な分析をしながら太陽光発電所として採算ベースに乗るかどうかを調査していただきました。幸い、ポテンシャルもあるとの評価をいただいた ことで、大井町としてプロポーザル案件としてメガソーラー事業の提案を公募することに決まりました。
ただ、当時は行政と企業の連携によるメガソーラー事業の整備は全国的にもほとんど例がなく、右も左も分からない状況でしたね。確かソフトバンクグループが先駆者として 2012年夏に運転開始した京都府京都市伏見区の「ソフトバンク京都ソーラーパーク」、そして群馬県北群馬県にある榛東村の「ソフトバンク榛東ソーラーパーク」ぐらいだった気がします。
最有力候補の辞退を古川が再参入へと導き、壮大なプランが動き出す
-東日本大震災で浮上した様々な課題の中で、人としての暮らしと経済活動の維持に向けて太陽光発電はエネル ギー施策として一躍注目を浴びました。神奈川県の推進するメガソーラー事業に大井町が挙手する形で壮大なプ ランが動き出したわけですね。そして第1回目のプロポーザル「不調」もありました。各事業者にとって「資金面」が最大のネックとなり、企画提案内容が最高評価だった大手メーカーS社も景気の動向など様子を見守るスタンスとなりました。全国でも実例が少ないメガソーラー事業に対し、日本を代表する企業でさえも慎重になら ざるを得ない状況だったことは、ある意味「当然の判断」だったかもしれません。
宇田川
当時、神奈川県西エリアでは手を挙げたのは大井町だけでした。東日本大震災での原発事故は深い傷跡を残してしまいましたし、間宮さんとしても「クリーンな新エネルギーで町民の生活を担保していくべき」との思いがありました。たまたま大井町に土地が寄附されたことも重なり、メガソーラー事業実現への舵取りとなりました。
参入意向調査で 4 社ほど手が挙がりそうな感触があり公募の流れとなりましたが、資金調達や土地の有効活用などの面で交渉がまとまらず、プロポーザル第1回目は不調に終わりました。当初は雑木林の造成などの整備費用も事業者負担が条件でしたが、さすがに事業者にばかり負担を押し付けるのではなく「大井町として負担すべきだ」となりました。約2億円の造成整備費を大井町が負担することで、参入障壁となる事業者負担を減らす流れになりました。
古川
太陽光発電の領域でも実績のある大手メーカーS社さんが様子見されたこともあり、第1回目が不調に終わったとのこと でした。たまたま知人経由で「資金面での参入障壁が高い」ことから様子見に回られたことを耳にしました。「それなら参入障壁となっている資金面でご協力出来れば、S社さんも参入してくれる可能性があるのでは」と思い立ち、私 1 人でS社本社にお伺いしてしまいましたよ。大きな会議室に役員が揃う中で、「必要な資金を調達できますか?」との流れになり、気が付いたら「はい、調達します!」と応えていました。既にS社さん側で膨大な提案書類も完成しており、本当に資金さえあればS社さんが参入してくれる手応えを感じて「やります!」と。結果、S社さんも「それなら我々も」とまとまりました。
宇田川
確かにS社さんのご提案はプランに非常にマッチしていました。他のご提案に比べて最大規模で、また、集落間道路の整備や集落に住まれている方の災害時の避難方法なども考察されていました。他の事業者同様に参入障壁となる問題に対して古川社長が手を差し伸べていただいたことが実現に向けての転機となりました。実効性も含めてS社さんのご提案が素晴らしい中で古川社長が参入障壁解消へと動いていただくカタチとなり、大井町としても担当としても非常にありがたかったです。
-大井町が造成費を負担することで事業者負担減に舵を取り、そして理想のパートナーとしてS社と伴走した古川社長。古川は代表企業として大井町との共創が動き始めました。神奈川県南西部にある大井町にメガソーラー事業の誕生について、どのような思いでしたか。
古川
株式会社古川としてもエネルギーの重要性は理解しています。当社メイン事業のガス以外にも太陽光発電の普及のため太陽光パネルの設置も行っていました。ガスのリソースを海外からの輸入に頼ることが普通の認識の中で東日本大震災が発生しました。あの大震災を機に、会社として太陽光発電の重要性をより痛感したこともあり、 事業者のみならず一般のご家庭にも新たなエネルギーとしての太陽光発電をご提案していました。 そのような流れもあり「会社で培ったノウハウとスキルの延長線上で、大井町のメガソーラー事業に取り組もう!」との気持ちでしたね。地元の事業者として地域エネルギーを守ることは重要な使命です。
宇田川
いざ太陽光パネルを設置するとなり、様々な障壁が浮上しました。まずは荒れ放題だった土地の整備ですが、そのためには道路を先に整備しないといけない。ただ、大井町としても「将来的にも道路の整備は町の発展につながる」との思いを抱いて取り組みました。
古川
ただ、資金調達は想像以上に困難な道のりでした。銀行の反応も厳しいものでしたが、その当時はメガソーラー事業に対する融資の基準自体がないから当然ですよね。銀行サイドもちょっと困惑と言うよりも驚いている感じでしたから。当社の売上を考慮すると、銀行側から融資はいわゆる当社の借金になりますから、もちろん社内でも数人しか知らない極秘の話でした。
芹沢
当時、私を含めて社員には全然知らされていない話でした。工事が確定して住民説明会を開催する頃に初めて話を聞いたぐらいです。本当にメガソーラー事業自体が初みたいな状況でしたから、私も含めて社員も「?」でしたね。いざ工事が始まると、「この規模の工事は今後2度と目の当たりにすることはないだろうな」と、感動しながら見ていましたね。
宇田川
事業の採算が取れるかも見えてこない状況でした。国からは「これぐらい発電して、これぐらいの収益になります」との見通しもありましたが、そもそも事例があまりに少ないので想像がつかなかったですね。やはり審査のポイントとして資金調達が鍵でした。例えば工事の途中でとん挫してしまうなどの事態は絶対に避けなければなりません。造成費は大井町の負担にしたことで、ようやくスタートラインが見えてきた状況でした。
古川
全国一律でメガソーラー事業として考えた場合、もちろん広大な土地がある方が効率が良くなります。神奈川県は狭いから優先順位も低くなりがちでした。銀行への担保をどうするのか、本業で返済できるかなどの判断も困難を極めました。私も元々は行員だったこともあり、様々なつてを頼り、類似実績や事例を調べてもらいながら一緒に最善策を模索しました。そして造成費は大井町が負担していただくことになったので、契約期間の20年間で賃料や固定資産税などをペイできる仕組みを考察しました。
-きらめきの丘おおいは大井町が事業用地の提供を、そして株式会社古川は発電所の設置・運営の役割を担って います。大井町の町民の反応はいかがでしたか。
宇田川
最初のプロポーザルが不調に終わり、大井町が造成費の2億円を負担することになりました。メガソーラー事業の候補地として大井町が立候補してから、地域の皆様にも事業の意義や重要性を説明してきました。提案の中には自治会館に太陽光パネルを、防災倉庫にLPガス発電機を寄贈していただいたりとありましたので、幸い皆様からの反応は好感触でしたね。
株式会社古川による運営に関してですが、本当に古川社長も芹沢さんもすごい協力的で感謝しています。「大井町の発展に少しでも寄与したい」との思いが凄く強く感じられますし、今日までとてもスムーズに来ています。
元々耕作放棄地だった場所を造成するにあたり、大雨が振った時の河川への流れや影響などを地域の皆様はじめ、 小田原市にも説明しました。大井町が負担した2億円のうちの25%ほどは調整池の工事費に充てるほどでしたね。 地域の皆様や他の市町村にご迷惑をおかけしないことが最優先ですから、かなり念入りに丈夫な作りにしました。
古川
きらめきの丘おおいは、宇田川さんがいなければ実現しなかったと思います。宇田川さんは、いわゆる皆さんが抱いている公務員のイメージとはかけ離れていて、凄く踏み込んで取り組まれていました。本当に宇田川さんの熱量があったからこそ、周囲を巻き込みながら実現したと思っています。
「きらめきの丘おおい」の愛称で地域のエネルギー拠点として注目
-「自然と共生し発展する社会の構築」を目的に誕生した太陽光発電所は、地元大井町の小中学生を中心に235人の応募の中から「きらめきの丘おおい」の名称となりました。紆余曲折を経て建設された「きらめきの丘おおい」の稼働から 10 年が経ちました。
宇田川
まず太陽光発電ですが、初年度の売電は予定通りでした。ただ、耕作放棄地を工事して造成をした斜面、いわゆる法面(のりめん)が安定していなかったこともあり、稼働後の 1 年ほどは大雨で法面の対応に追われました。
芹沢
今ではほとんど問題はありませんが、確かに最初の 1 年間は大雨の度に我々も手の空いている社員総出で確認や修復作業をサポートしました。また、稼働してからは現場見学会も頻繁に行われていましたね。自治体の方やNPO法人、各種学校による「きらめきの丘おおい見学会」が開催されていました。ヘルメットや飲み物などを用意して、発電所の案内をしました。「ここで660世帯分の電力が作られています」とか。また、造成地から箱根火山や富士山の噴火を起源とする火山灰や軽石を含む地層が露出したことも話題となり、地層の見学を目的に来られる方もいらっしゃいます。
▼参考資料 タウンニュース足柄版 2014年1月18日
https://www.townnews.co.jp/0608/2014/01/18/221720.html
古川
箱根火山と富士山の噴火による火山灰や軽石とか、非常に希少で貴重だったこともあり日本地質学会に表彰されるほどでしたね。
宇田川
私が現場監督でしたから、「この地層、とても珍しいのでは?」とおおい自然園の園長を務める一寸木(肇)先生に話を持ち込んだところ、一寸木先生も「いや、これは凄いね」となって、当時はかなり話題になりました。
芹沢
法面は植物の種を蒔いて草が生えるようにすることで崩れにくくなりますが、地層や岩石が露出している「露頭」 の部分は見えるようにしています。小田原市にある県立生命の星・地球博物館の笠間(友博)学芸員を中心に専門家による調査も話題になりましたね。
古川
きらめきの丘おおいの開業 1 周年を記念して「タイムカプセルの埋没式」も開催され、地域の子どもや保護者、 関係者など約 100 人が「将来の自分へ宛てたメッセージ」をタイムカプセルに入れて、発電所の敷地内に埋める イベントで。賃借契約が満了する 2034 年に掘り出す予定です。
▼参考資料 タウンニュース足柄版 2015年4月4日
https://www.townnews.co.jp/0608/2015/04/04/278334.html
-きらめきの丘おおいは新たなエネルギー供給の場として地域に根ざしつつあります。大井町にとってどのよう な存在として認識されていますか。
宇田川
自治会への太陽光パネル設置や防災倉庫のプロパン発電機の寄贈など、エネルギーをより身近に感じられるようになっていると思います。また、見学会を通じて「太陽光発電」、「再生可能エネルギー」について学ぶ機会も増えました。きらめきの丘おおいは、大井町として再生可能エネルギー普及率拡大の素地とも言える存在です。
古川
太陽光発電による電力の供給、売電を通じて地域に還元出来ている喜びは実感しています。きらめきの丘おおい が完成してから幸いなことに近隣エリアでは大きな自然災害などは発生していません。ただ、今後もしものこと が起きた時にも、きらめきの丘おおいが地域経済を回し、地域エネルギー循環の象徴となるでしょう。また、今後は EV(Electric Vehicle=電気自動車)とか含めて直接的に地域の皆様に貢献出来るような体制も整って欲しいですね。
宇田川
古川社長とも色々なお話をする中で、「再生可能エネルギーとしての電力を活用したソーシャルビジネス」を展開していきたいなどの話題にもなります。大井町だけではありませんが、それぞれの行政が抱える課題は時代とともに増えていきますので、その課題を解決するような地域還元につながるビジネスの仕組みを模索しています。 そのためにも長く続く事業として、代表企業の古川をはじめとする事業者に利益を出していただくことも大切だと考えています。
古川
そうですね、長く続けるためにも利益を出すことは必要不可欠な要素です。資金調達で苦労したころとは違い、 今はメガソーラー事業が事業として認知されています。まだ10年ですが、現時点では事業としても成功しています。会社としても、メイン事業のガスに加えてきらめきの丘おおいの運営を担うことで太陽光発電事業の印象も強まりました。おかげさまで再生可能エネルギーの領域にも本気で取り組んでいると思っていただけるようになりましたね。遮断されているエリアをつなぐコミュニティバスだったり、地域の課題解決となる仕組みやビジ ネスへと発展させていきたいですね。
宇田川
大井町に限ったことではありませんが、地域課題の解決に向けては、行政だけではどうにもならないことも多々あります。専門的な知識やスキル、ノウハウ、実績がある民間との「官民連携」が大切で、民間に対して無理難題を押し付けるのではなく、しっかりとビジネスとして稼いでいただくことを意識しなければならないと思います。
今回、きらめきの丘おおいを通じて古川さんと一緒に仕事をしていく中で、私自身も「公務員としての考え方」 がガラリと変わりました。行政だけでは町民のニーズに100%応えることは厳しいです。では、どうするかと言うと、事業者にも利益の出るような、お互いがビジネスパートナーとして課題に立ち向かえる関係を構築していくことが必要だと思います。
大井町は今、農業の担い手が非常に少なくなっています。高齢化の課題もありますが、大井町と言えば農業です。 市街化区域の人口が増えているおかげで大井町全体としても人口は増えている状況です。ただ、市街化を抑制する市街化調整区域は、明らかに人口が減っています。きらめきの丘おおいがあるエリアも市街化調整区域です。 市街化調整区域にも人が集まるようになる仕組み、例えばきらめきの丘おおいを拠点に活性化していくと理想的ですね。
古川
そうですね、改めて「地域貢献で終わるのではなく地域活性につなげる」ことの重要性を感じました。地域のエネルギー会社としてガスや電力を地域に供給することで終わるのではなく、その地域が活性化しないことには、 本業も活性しませんから。地域活性につながる持続可能な仕組みを作ることで企業としての未来にもつながります。このきらめきの丘おおいを拠点に、農業振興とか様々な取り組みにもチャレンジしていきたいですね。今回、 きらめきの丘おおいの誕生を振り返ったこともあり、改めて「継続できる仕組み」の重要性に気付かされました。
「きらめきの丘おおい」を拠点に賑わいを創出する未来像へ
-きらめきの丘おおいの稼働から 10 年が経過し、賃借が満了する 2034 年に向けて次の 10 年が始まりました。 これからの 10 年、きらめきの丘おおいの未来像をお願いします。
古川
きらめきの丘おおい誕生から10年が経過して思うことは、「地域電力の存在は本当に強い」です。そして地域内 で EV とかの普及や災害時に備えた仕組みを確立していくことが大切です。今の日本では駅前が発展する状況ですが、太陽光発電による自給自足エネルギーが浸透することで都市開発のニーズにも変化が生まれます。例えば、 ここ大井町は高速道路もありますので東京からのアクセスも良好です。自給自足エネルギーを地域課題の農業の 再構築にどう結び付けていけるか、逆に言うと自給自足エネルギーを活かして農業を再構築出来たとすると、全国でも屈指の「災害に強い町」にもなります。近くには神奈川県でも利水面で重要な二級河川の酒匂川もあります。もしもの時にも水と食料、そしてエネルギーが自給自足でまかなえるのであれば、これほど心強いものはあ りません。古川としても、きらめきの丘おおいの新たな展開、更なる発展に携わっていきたく思います。
宇田川
電力は安心安全な生活を過ごす上で、重要なエネルギーです。例えばもしもの事態が起きた際、1日目、2 日目の電力を町全体に供給できるようになれば本当に心強いでしょう。きらめきの丘おおいが誕生してから10年、電力供給のみならず周辺道路の整備されました。見学会やイベントを通じて、間違いなく大井町の地域活性につながっています。大井町としてはきらめきの丘おおいは官民連携の象徴とも言えます。プロポーザルでS社の再参入、そして株式会社古川が代表企業として太陽光発電所を運営することになり、本当に良かったと実感しています。これからの10年もきらめきの丘おおいが大井町の活性化の拠点となれるように、古川社長、 芹沢さん、そして古川の皆様と一緒に取り組めることを楽しみにしています。
古川
確かに、きらめきの丘おおいを拠点とした農業体験のテーマパークだったり、農場で余暇を過ごすアグリツーリズムや、企業の研修場、あるいは林間学校や修学旅行先となるような宿泊施設など、可能性はあります。国内だけではなく、海外からのインバウンドにも対応できるような「賑わい創出の場」としての未来は想像するだけで も楽しいですね。水や食料、そしてエネルギーが自給自足で、さらに農業体験や宿泊まで出来るのであれば、ちょっとした遊びや訪問先としての需要はありそうです。農作物の収穫期に合わせた収穫体験とかを組み合わたり することで「人手」にもなりますし、「就農希望者」につながるかもしれません。
宇田川
時代とともにニーズや課題は変化していきます。そういう意味でも「町づくり」はストップすることが出来ません。このメガソーラー事業によるきらめきの丘おおいも稼働から10年が経ちました。この10年でも色々な出来事があり、人々の意識やニーズ、そして地域課題も変化してきています。行政として官民連携がマストかどう かは分かりませんが、間違いなく「プラスα」になります。変化する地域課題に対応する良きパートナーとして、 今後ともぜひ宜しくお願いします。
芹沢
きらめきの丘おおいを管理している立場として、まずはこの 10 年間、無事に稼働したことは良かったです。ただ、これからの10年間を含めた計20年間、再生可能エネルギーとして地域の皆様に電力を供給することが大切です。きらめきの丘おおいを拠点に地域が発展していくことを願っています。
古川
きらめきの丘おおいが誕生してちょうど10年ですか…。エネルギー供給の重要性、地域エネルギーのポテンシ ャルへの期待は高まるばかりです。メガソーラーのある大井町が、どのように発展していくのか、どのように携わっていけるのか。きらめきの丘おおいを拠点に賑わいが生まれる未来像を、本当に楽しみにしています。